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ボールパイソンを飼育するということ
僕は、生き物を飼育することが大好きだ。
記憶している限り、僕の人生において生き物を飼育してない時期はほとんどなかったといってよいと思う。

そんな僕でも趣味で生き物を飼育するということ
つまり、自分の娯楽のために命を消費することについて何も感じないわけではない。


もちろん、
人は牛や豚や鶏を肉として食べることによって命を奪い肉体的充足を得る
それに対して
犬や猫はペットとして飼育することのよって命を奪い精神的充足を与えてくれる
つまり愛玩動物の飼育は人間の本質的な欲求であり、
ペットを飼育することは何の問題も無い。

という考えは十分に理解できるし、納得に足りると思う。
まあ、人は基本的に肉を食わなくたって、ペットを飼育しなくたって死んだりはしないんだけれども・・・。


前置きが長くなりすぎた。

ご存知のとおり、
アフリカ原産であり昨今、爬虫類界において絶大な人気を誇るボールパイソン(学名Python Regius)を
僕は飼育している。

というより、飼育とよぶにはいささか数が多すぎる、既に正確な匹数を把握できていない。(多分、70~80匹くらいだったと思う)
ストックとかキープ、管理そういう言葉の方がしっくりくる。
いつからかだろうか、知らないうちにそんなレベルにまで達してしまっている。


冒頭に書いたように、まさにまさしく自分の娯楽のために命を大量に消費して遊んでいるのである。
だれがどう見ても、完全に命の浪費である。それについて言い訳などできるはずもない。
しかも最近では、むしろ娯楽どころか餌代や光熱費、なにより日々のメンテナンスにかかる手間は苦痛でしかなく
常に付きまとう悩みの種ですらある。

そんなふうに命を浪費している自分を許すことはできないし、憎みすらしている。
残念ながら、その点において完全に自己嫌悪してしまっている。

じゃあ、飼育を止めればいいんじゃねーの?と問われれば
まさしくそのとおりであって、ほんとにボールパイソンはもう止めた方がいいのかも知れないな。
などと考えてしまうけれども・・・・。


ただ一点

本当に一点だけ、やたらと命を浪費していることについて自分を許せることがある。

それは「ボールパイソンの繁殖を前提に飼育している」という点においてだ。

そんなことは命というあまりに重い命題を前にして、あまりに軽く、脆弱な言い訳に過ぎないかもしれないけれども、
この点において、なんとか僕は自らを許すことできるし、そんな自分が結構好きだったりする。

いや違う、「許すことができていた」し、「好きだった」といった方が良いかも知れない。


・・・つまり、今年の「繁殖」は完全に失敗だった、ということだ。


その残酷な事実は、僕のブリーダーとしてのプライドを破壊し、
消費的飼育者として最低限許せていた、免罪符を奪い去った・・・・。

とか、どうでもいい、プライドとか命の尊厳とかほんとどうでもいい。

あぁー、単純に超くやしいわ!クソが!

うん、やっとしっくりきた。。

完全に調子に乗っていた。
4年だか5年だか連続でなんだかんだで毎年それなりに殖やせていたからか甘く見ていた。
完全にボールパイソンを見くびっていた。


だから、これを機にはもうちょっと頑張って行こうと思う。

そんなことを決意した、ボール待ちの夜。
まだ連絡こないから、どうやら待ちぼうけみたいだけれども・・・・。
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